2015年3月22日日曜日

「シンカンセン~」

 
東海道新幹線は小さいころの憧れで、乗せてもらったときに大喜びで車内をびゅわ~んと走って「ひかり号よりも速いのだ」と得意になったりして。東京経由で関西に引っ越したときに乗ったのかな。今にして思うとかなり恥ずかしい。
日本でお留守番、ベースのじゅんです。

先日の北陸新幹線が延伸して14日に長野~金沢が開通したという新聞のニュースは、あまり関係ないな、当面乗ることないだろなと見ていたのだけど、沿線の市長さんたちが喜ばしいことであるとコメントを寄せていた。
そういえば、金沢の市長さんは、2月に金沢のもっきり屋でパイレーツ(残念ながら僕は欠席)のリハーサルに居合わせてツイートしていたなとぼんやり見ていたら・・ああそうか、長野の次の駅は飯山なのかと。

飯山の雪祭りに靴ピカで演奏しに行ったのは4年前と5年前の2月。

そのときにお世話になった地元の3人組「夕暮れおかわり少年団」の、新幹線のトンネル工事をモチーフにした「や~まにっ穴をあけたほうが・・」という曲がホロっと思い出されたので。

先月、パイレーツ「居残り組」として拾得の東京ローカル・ホンクとチェインズに遊びに行ったとき、折しも少年団のタザワくんが来ていて久しぶりに少し言葉を交わしたからだな。結婚します。おめでとう。

飯山は長野県の北の端っこの方だから、僕が4歳くらいまで住んでいた長岡(新潟県)も割と近いのかと思って地図を見るとかなり離れている。反対側の富山と同じくらいか。でも飯山線がそっち方面に伸びているようで、これは北陸新幹線よりも乗ってみたい気がする。


当時の記憶は意外と鮮明で、住んでいたあたりの行動範囲内の地図は今でもそれなりに書けると思う。何気に黄色い思い出は、のりたまがひっついたアルマイトの弁当箱のフタの裏、信濃川の土手を飛ぶモンキチョウ、雪国だったので、例によっておしっこで雪を溶かして遊んだり。雪に名前は書かなかったけど。

そして黄色より色とりどりの花火。長岡の花火は有名だね。父親の勤務先の建物の屋上から、花火が光ると土手にたくさんの人影が見えたのを覚えている。ついでに「ナイアガラ」という言葉を聞きおぼえた。

この「長岡まつり」の花火大会が、慰霊と復興の想いを込めて昭和20年8月の長岡空襲の翌年に始まったことは、これも恥ずかしながら最近の新聞で読むまで40年以上も知らなかった。長岡は10年前の中越地震でも被災しているから、3月に起きた東京大空襲や東日本大震災の報道にも関連して取り上げられたのだと思う。


うむ。話がどこへ向かうのか。線路は続くよどこまでも・・。
今日はJR石巻線が4年ぶり全線再開というニュースがあった。
身近な日常を当たり前に過ごせることが大切ね。この3月は例年以上に余裕がなく、負の感情と疲れが溜まりがちなので、心の置きどころに気をつけないと。

さてさて、「アメリカ組」のメンバーたちはなんだ坂こんな坂とツアーを続けて終盤を迎えています。
ナイアガラの滝が凍ったくらいだしニューヨークやボストンは寒そうだったけど、オースチンは暖かそう、半袖か。行く先々で快く受け入れられているようで何より。
イワキングの足の具合が少し心配ですが、みんな最後まで十二分に堪能・活躍してくれるよう願います。

ま、バンドと音楽のことを中心に過ごせるというのはやはり羨ましい。
置いてけぼりですが、アメリカには芋焼酎がないし、と強がっておこう。
あと少しやね。おつかれさん!